武漢で最初に起きた警鐘:

「警鐘」の発端
2019年12月16日、1人の患者が、私たち武漢市中心病院南京路分院の救急科に運び込まれた。原因不明の高熱が続き、各種の治療薬を投与しても効果が現れず、体温も全く下がらなかった。


22日、患者を呼吸器内科に移し、ファイバースコピーで検査し、気管支肺胞洗浄を行い、検体サンプルを外部の検査機関に送ったところ、シーケンシング技術によるハイスループット核酸配列の検査が行われ、「コロナウイルス」との検査結果が口頭で報告された。病床を管理する同僚は、私の耳元で「艾主任、あの医師は『コロナウイルス』と報告しましたよ」と何度も強調した。後に、患者は武漢市の華南海鮮卸売市場で働いていたことが分かった。


12月27日、また1人の患者が南京路分院に運び込まれた。同僚の医師の甥で、40代で何の基礎疾患もないのに、肺が手の施しようのない状態で、血中酸素飽和度は90%しかなかった。他の病院で10日間治療を受けたが、症状は全く好転しなかった。そのため、呼吸器内科の集中治療室に移され、先の患者と同様に、ファイバースコピーで検査と気管支肺胞洗浄を行い、ハイスループット核酸配列の検査に回された。


アイ・フェン医師


12月30日の昼、同済病院で働く同期生がウィーチャットでキャプチャ画像とともに、「しばらく華南〔海鮮市場〕には近づかない方がいいよ。最近、多くの人が高熱を発している」と知らせてきた。彼は私に「本当かな」とも尋ねてきたため、ちょうどパソコンで診断していたある肺感染症患者のCT検査の11秒ほどの動画を送信し、「午前に救急科に来た患者で、華南海鮮卸売市場で働いていた」とのメモも記した。


その日の午後4時、同僚がカルテを見せに来た。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」と書かれていた。私は何度も読み、「SARSコロナウイルスは1本鎖プラス鎖RNAウイルス。このウイルスの主な感染は近距離の飛沫感染で、患者の気道分泌物に接触することにより明確な感染性を帯び、多くの臓器系に及ぶ特殊な肺炎を引き起こす。SARS型肺炎」と注記されていることを確認した。


COVID-19



新型コロナウイルス
私は驚きのあまり全身に冷や汗が出た。あの患者は呼吸器内科に入院しているので、私のもとにも病状報告は回ってくるはずだ。しかし、それでも念を入れて、すぐに情報を共有するために病院の公共衛生科と感染管理科に直接電話をした。


その時、呼吸器内科の主任医師がドアの前を通ったので、なかに呼び入れて「私たち〔救急科〕を受診した患者があなたのところ〔呼吸器内科〕に入院している。見て、これが見つかった」とカルテを見せた。彼はSARS治療の経験者だったので、すぐさま「これは大変だ」と言った。私も事の重大さを再認識した。


その後、同期生にも、このカルテを送信した。「SARSコロナウイルス、緑膿菌、46種口腔・気道常在菌」という箇所を赤い丸で囲んだ。救急科の医師グループにもウィーチャットの画像共有アプリで発信し、皆に注意を喚起した。


その夜、私が赤丸を付けたカルテのキャプチャ画像が、さまざまなウィーチャット・グループに溢れるようになった。李文亮医師がグループ内に発信したのもそれだった。


私は「もしかすると面倒なことになるかも」と感じた。


午後10時20分、病院を通じて武漢市衛生健康委員会の通知が送られてきた。「市民のパニックを避けるために、肺炎について勝手に外部に情報を公表してはならない。もし万一、そのような情報を勝手に出してパニックを引き起こしたら、責任を追及する」という内容だった。


私は恐くなった。すぐにこの通知も同期生に転送した。


約1時間後、病院からまた通知が送られてきた。再度、情報を勝手に外部に出すなと強調していた。


当局の「口封じ」
1月1日、午後11時46分、病院の監察課〔共産党規律検査委員会の行政監察担当部門〕の課長から「翌朝、出頭せよ」という指示が送られてきた。その晩、私は心配で一睡もできなかった。寝返りをうちながらいろいろ考え込まされた。だが、すべての物事には両面がある。たとえ悪影響をもたらしても、武漢の医療従事者に注意を喚起するのは悪いことではないと自分に言い聞かせた。


翌朝8時すぎ、勤務交代の引き継ぎも済んでいないうちに、「出頭せよ」との催促の電話が鳴った。そして「約談」〔法的手続きによらない譴責、訓戒、警告〕を受け、私は前代未聞の厳しい譴責を受けた。


「我々は会議に出席しても頭が上がらない。ある主任が我々の病院の艾とかいう医師を批判したからだ。専門家として、武漢市中心病院救急科主任として、無原則に組織の規律を無視し、デマを流し、揉め事を引き起こすのはなぜだ?」


彼女の発言の一言一句そのままである。幹部はさらにこう指示した。


「戻ったら、救急科200人以上のスタッフ全員にデマを流すなと言え。ウィーチャットやショートメールじゃだめだ。直接話すか、電話で伝えろ。だが肺炎については絶対に言うな。自分の旦那にも言うな……」


私は唖然としてしまった。単に勤務上の怠慢を叱責されたのではない。武漢市の輝かしい発展が私一人によって頓挫したかのような譴責だった。私は絶望に陥った。


私はただまじめに仕事をするだけの人間だ。規則を遵守し、道理に従ってきた。どのようなまちがいを犯したというのだろうか?あのカルテを見て、病院に報告し、同期生や同僚との間で病状について意見交換をしたが、患者のプライバシーは一切漏らさなかった。医師の間で症例に関して議論しただけだった。


臨床医師として、患者が重大なウイルスに感染しているのを発見して、別の医師から尋ねられ、これについて口を閉ざしていいのか?知らせるのは医師の本能と言うべきだ。私はいかなる過ちを犯したというのか?私は医師として、一人の人間として、やるべきことをしただけだ。他の誰かが同じ立場になれば、きっと同じようにしただろう。


譴責されたとき、私は胸がいっぱいになった。


「これは私がしたことで、他の人は関係がありません。いっそ私を逮捕・投獄してください。このような状態では、もう仕事は続けられません。しばらく休ませてください」


だが、幹部は受けつけず、「今はお前を見定めているのだ」と言った。


その夜のことは、はっきり記憶している。帰宅し、ドアを開けて部屋に入り、夫に「もし、私に何かあったら、しっかりと子供を育ててね」と言った。2番目の子はまだ小さく1歳数カ月だった。譴責されたことは言わなかったので、夫は何のことか分からなかっただろう。


“警笛”を最初に提供した
1月20日、鐘南山博士〔国家衛生健康委員会専門家グループ長で感染症研究の第一人者〕が「ヒト―ヒト感染」を発表してから、ようやく夫に打ち明けた。それまでは、家族にさえ、人が多いところを避け、出かけるときはマスクをつけるようにと注意するのが精一杯だった。


私も訓戒を受けた8人の医師の1人ではないか、と多くの人が心配してくれたが、実はそうではなかった。後日、親友から「君は“警笛”を吹いたのですか?」とたずねられたが、私は「いいえ、警笛を吹いてはいません。警笛を最初に提供しただけです」と答えた。